卒業後は、忙しい会社であったのでなかなか稽古を続ける事が出来なかった。それでも、札幌では1年弱、その後大阪でも1年続けた。その十三にある道場は当時道場長があのスティーブン・セガールであった。いつもの稽古指導は日本人の若い師範代で、いつもはアメリカにいて、実物を見たのは道場の10周年で一度だけだった。大阪時代はその道場で知り合った和歌山大合気道部OBと一緒に現役の和歌山大合気道部の合宿へ参加(小豆島)。当時同大合気道部の師範であった佐々木将人先生と出会う。最初の会社を辞め、転職した2つ目の会社では少し時間も出来、会社のそばに稽古する場所があった新日本証券の合気道部(日本橋)に通った。ここには10代上の先輩や富士通他の会社にいる先輩も顔を出しており半分以上は社外の人しかも大学合気道部OBが結構いた。この道場で知り合った早稲田のOBのご縁で里見八顕会という市川の道場に顔を出したり、鎌倉の湘南合気道連盟(武田義信先生)の道場へ行ったり、日曜日は時々本部道場へ通ったりしていた。