2005年03月19日

(4)ABC倶楽部、「知恵の輪」

 2つ目の会社は最初と比べると極小規模の会社であり、大西先生の事務所といってよかった。しかし、会社が小さいと社外の人脈は広がった。リクルート時代は営業のお客様を除くと、社内の人間との付き合い(もっぱら飲ミニケーションのことだが)で精一杯であった。今度はその逆である。先生は勉強会などの交流会を主催するのが好きで、それが「ABC倶楽部」であり、毎週火曜日の朝飯会「火曜会」であった。しかもありがたいことに、私が入ってから、元々やっていた勉強会にプラスして多くの会を始められ、その殆どの事務局も担当させていただいた。東京には地方本社の会社で単身赴任者が多いということで「東京単身赴任者の会」、当時私は30代初めであったので若手中心の「ニューリーダーの会」、「新しい研修を考える会」など。そして先生の入っていた経済界クラブなどの例会への代理出席、それこそ経済界のお歴々が来ていて、そこで必ず名刺交換は10枚以上などと先生に言われ、いつも名刺持って、挨拶に回っていた。そうして名刺交換した方には、あの柳生但馬守の言葉を印刷した葉書をお礼状として送った。

 「知恵の輪」は、東京でのサラリーマンの勉強会が、隣の会は何をしているのかということで相互交流の横のネットワークとして集まり、1985年に第1回の交流パーティを開催した。代表は人脈の本でも有名な下村澄さん(当時は毎日放送社長室)。大西先生も当初からの世話役の一人であった。私は第6回(1989年)の東京湾船上パーティと第10回(1993年)横浜大会にABC倶楽部、火曜会として参加した(途中の、7回、8回、9回は地方に出かけ、それぞれ新潟、広島、熊本で大会を実施。先生が参加し私は会社の留守番であった。)。その第10回「知恵の輪」横浜大会で出会ったのが北海道滝川市の水口正之さん北海道でのお友達ネットワークの入口であり、交差点であり、その後プライベートでも大変お世話になる。
続きは、こちら(5)
posted by じんさん at 16:15| ☔| ご縁(師と友) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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