2011年07月24日

東北大学合気道部50周年OB・OG会に参加

久しぶりの合気道カテゴリーです。

昨日(平成23年7月23日・土)は、東北大学合気道部師範交代の感謝会(OB・OG懇親会)でした。

13時からは合気道本部道場でOB会稽古(私は見取り稽古)。
私自身は5年前に延べ約3ヶ月(回数は3回)入院・手術により、合気道の稽古を休止、現在に至っている。

昨年50周年の祈念演武大会と合同稽古もあったが、こちらには参加せず。
今回は同期18代4名が久しぶり全員集合。

OB稽古の後、会場の日本教育会館(千代田区一ツ橋)付近の中華店で0次会スタート(15時頃から)。
その後16時半からOB会総会、17時から懇親パーティ。
道主、昨年度まで担当の菅原師範、今年度から師範となられた植芝充央さん(相木同本部道場長補佐)にご臨席いただいた。

20歳(現役)から70歳近く(初代、2代OB)までの幅広い年代の約100名が参加、19時半頃まで懇親会(一次会)。

その後、二次会へ。こちらも50名近く参加。
10時半頃私もそろそろ失礼下が、まだ半分位残っていた。


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posted by じんさん at 21:21| 北海道 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 合気道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月06日

(4)札幌に戻ってから

合気道構え 11年前に札幌に戻り、そのときに知り合った今村樹憲先生(埼玉大学合気道部初代主将)と縁あって一緒に(といっても最初はお手伝い)「札幌国際合気会」という社会人の合気道の会をつくり、上は60代から下は小学校に入る前の子まで、会の名前どおり国籍もロシア、ニュージーランド、オーストリア、カナダ、USA、タヒチなど様々な会員も入ってきた。北海道には白滝村という開祖が若き日に和歌山県人と共に北海道開拓に入った地(ここで大東流の実質始祖の武田惣角に出会った)があり、この村には当会と交流している道場もあり合宿でも訪ねている。今村先生の縁で埼玉を中心にしている石垣先生の道場とも交流がある。2001年にはロシア(ハバロフスク、ノボシビルスク)に札幌国際合気会として、稽古の指導・交流で訪れた。同年秋田県で開かれたワールドゲームズ(全世界のオリンピック種目にはなっていないスポーツの世界大会、合気道は試合がないのエキジビションとして参加)を見学に行き、東北大OBがいた宮城県連盟と一緒に国際演武会に出たのも思い出の一つである。さらにこの4月からは当会の会長ということで会活動の運営責任者となり(今村先生は師範・道場長)、合気道のさらなる普及にまた思いを新たにしている。

 合気道に関心をもたれた札幌にお住まいの方は、札幌国際合気会のHP
 同じく全国の方は、財団法人合気会のHP


posted by じんさん at 11:40| ☔| 合気道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月05日

(3)社会人になってから

卒業後は、忙しい会社であったのでなかなか稽古を続ける事が出来なかった。それでも、札幌では1年弱、その後大阪でも1年続けた。その十三にある道場は当時道場長があのスティーブン・セガールであった。いつもの稽古指導は日本人の若い師範代で、いつもはアメリカにいて、実物を見たのは道場の10周年で一度だけだった。大阪時代はその道場で知り合った和歌山大合気道部OBと一緒に現役の和歌山大合気道部の合宿へ参加(小豆島)。当時同大合気道部の師範であった佐々木将人先生と出会う。最初の会社を辞め、転職した2つ目の会社では少し時間も出来、会社のそばに稽古する場所があった新日本証券の合気道部(日本橋)に通った。ここには10代上の先輩や富士通他の会社にいる先輩も顔を出しており半分以上は社外の人しかも大学合気道部OBが結構いた。この道場で知り合った早稲田のOBのご縁で里見八顕会という市川の道場に顔を出したり、鎌倉の湘南合気道連盟(武田義信先生)の道場へ行ったり、日曜日は時々本部道場へ通ったりしていた。

posted by じんさん at 16:35| ☔| 合気道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月26日

(2)大学の合気道部で

名簿上は30名ほどの新入部員が入り、実際に稽古を始めたのが18名くらいで、1年目の終わりには半減し、3年目(幹部)の時は4名になっていた。1年目の半年まではそうでもなかったが、夏合宿からかなり厳しいものになり、後半は4時半〜6時半の稽古の後、引き立て稽古といって、先輩からよしといわれるまで投げられっぱなしという受身の稽古。週に2,3回はなぜか裸足でランニング、瑞宝殿(伊達政宗公三代のお墓)の階段でのダッシュ、青葉城址での声だし(ウィッチ、ニイ、サ〜ン、シー、グォー、ロ〜ク、シィ〜チ、ハア〜チ、クー、ジュウーと眼下の仙台の街へ大声で号令をかける。当然声が小さいともう1回!!となる)。冬合宿(1年と2年が合宿所に泊まる)には夜襲というのがあり、3年生の先輩が夜寝込んだ頃に突然乱入し、雪のグランドを素っ裸で走り、広瀬川での水浴びとなる(昔は水風呂といってそれに入ったのだが、一度死にそうな目に会いそれは止めたと聞いている)。ちなみに夏合宿では試胆会というのがあって、よれよれになっている合宿の中日に突然普段着になって街へ出る。なんだろうと思うと、2年生の指示で仙台のアーケード街の中央通り通藤崎デパートの横あたりで、電柱に登って「セミ」になったり(ちゃんと羽も用意されていた)、空き缶を置いて「乞食」になったり、箒をもってバンドをやったり・・・(ようやったなあ!)。あれ、なんだか、合気道部の思い出になってしまっている・・・。
 実はこの大学合気道部1年生の時、当時の奥村繁信師範(現九段)から当時大学を出てまもない植芝守央先生(現道主、植芝盛平開祖のお孫さん)が師範となられた。当時ももちろん偉い先生なのだと認識はあったものの、1年生から出たこんな質問が印象に残っている。夏合宿だったと思うが、夜の懇談の場で「先生は何段なのですか?」それに対して「私は段位を出す方なので、段位はありません」と応えられた様に記憶している。そうかそれはスゴイなあと思った。
 3年生で幹部になる時に主将という重責を担ってしまったが、その理由は私以外で残っていた他の同期メンバーはみな理系で、3年になると実験があって稽古の最初から出れない、文学部の私がほとんど間違いなく最初から出れるからということだった。しかし、我々の二代上も一代上も工学部と薬学部であったから、結局みんないやで、私にさせる為の口実であったと思われた。それにしても私の代(18代)から21,22代頃まで部員数が少なく、植芝守央先生を師範と仰ぎながら、申し訳ないと思っていた(しかし私の代の前後を谷間として、部員数はその後V字回復をはかる)。
posted by じんさん at 15:25| ☔| 合気道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月20日

(1)合気道との出会い

合気道投げ 合気道の記憶の最初は、中学生の時、田舎の書店(文房具屋と一緒の本屋さん)で確かカッパブックス「合気道入門」(現在絶版)を手にしたことだと思われる。手元に本が残っていないので立ち読みしたようだが、その割にはなぜか内容についての記憶はハッキリしている(何日間か通ったのかもしれない)。本の半分は合気道開祖植芝盛平翁の半生と合気道のあゆみ、残りの半分が合気道の技を4コマで絵解きして説明していたと覚えている。その技の姿がぶつかり合いではなく妙に納得できたように感じている。
 実際の合気道を見たのは、それから4,5年後で大学に入り仙台の東北大の川内キャンパスで、新人歓迎の合気道演武会である(他に演武していた武道は少林寺拳法、躰道、他空手もあったかな?)。
高校まで運動といえばピンポンしかやっていなかった私なのだが、何か武道的なものを始めてみたくなり、剣道、柔道は皆中学、高校からやっているので、少林寺か合気道にしようと思った。そして合気道部には女性もいた。よしこれなら俺にでもと思い、入部名簿に名前を書く(後から分かったが、少林寺は週休二日であり、合気道は土曜日も稽古があり、決して少林寺より楽ではなかった)。



posted by じんさん at 19:25| ☔| 合気道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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